私が息子に「学校へ行かなくてもいい」と伝えた日。
こんにちは、ゆららです。
以前、記事で少し触れましたが・・・
私の息子は学校へ行ってません。
いわゆる、不登校です。
なぜかというと、やはり、理由がありまして・・・。
もともと、息子には発達の凸凹がありました。
発達凸凹は十人十色、実に様々なタイプがあります。
息子の場合、文字・・・特に画数の多い感じを認識したり書くのが苦手です。
そのため、漢字ドリルの宿題が出ると、文字を書くのに人一倍かかります。
通常ならば20~30分でできあがるところ、2時間かかっていました。
低学年の頃は、特に集中力が続かず…。本人も家族も、毎日へとへとでした。
それでも、小学4年生までは先生やクラスメートに恵まれ、楽しい日々でした。
毎日ランドセルを背負って「いってきまーす!」と出かけていきました。
* * *
ところが、小学5年生になって、状況が一変しました。
担任が替わったのです。
その先生は「トメ」や「ハライ」といった、字体に厳しい方でした。
息子は字を書くのが苦手でしたから、最前列の席で毎日ノートをチェックされました。
正しい字を書いても「字の形が美しくない」と、赤字で直されました。
毎日帰ってきては、「今日も怒られた。。」としょんぼりしました。
また、その先生は生徒が思い通りに動かないと、大きな声で怒鳴る人でした。
ある日、友達のひとりが、宿題の範囲を間違えてやってきてしまいました。
それを聞いた先生は、その友達に大きな声で叱りつけました。
「勉強、やる気があるのか!?」
クラスみんなの前で叱られた友達は、その場で泣き出してしまいました。
もともと穏やかな性格の息子は、まるで自分が怒られたかのように感じ、心を痛めました。
子どもは、そんな先生について、
「ねえ、今の先生は美人だけれど、怒ってばかりで最悪だよ!」
と言いました。
その頃、仕事で忙しかった私は、
「そうなんだ~。怒りっぽいんだねえ」
どちらかというと、聞き流していました。
なぜなら、担任の先生は、保護者である私に対しては、よく電話をかけてきて
「今日の息子さん、こんなにがんばりましたよ~。もう私、うれしくって!」
などと、些細なことでも頻繁に電話をかけてきました。
私は「この先生は、なぜこんなに電話をかけてくるんだろう?」
と、不思議に思ったくらいです。
担任が怒鳴ったところを見たことがなかったため、子どもの証言(SOSのサイン)を聞き逃してしまったのです。
(そのことの後悔は、あとから私を苦しめました)
それまでの先生は良い方でしたので、油断(?)していたのかもしれません。
* * *
そんな日々が続いて、3学期がやってきました。
ある朝、息子が起きてきません。
ベットへ様子を見に行くと、息子は辛そうに言いました。
「ねえ、ママ。熱はないんだけど、、、学校を休んでいい?」
「学校を休んで、ごめんね。」
ただならない様子に、私は思わず言いました。
「学校へ行かなくてもいいから!休みなさい!」
学校に電話して「一週間ほど休ませます」と伝えました。
* * *
とりあえず、平和な一週間が過ぎました。
一週間経ったころ、さっそく学校から電話がかかってきました。
「一週間経ちましたから、そろそろ登校させてください」
「登校しないと、学校へ来られなくなりますよ」
「自分でこれないなら、迎えに行きましょうか?」
実際に、学校の先生達が、朝に家まで迎えにやってきました。
しかし、息子は学校に拒否感を示し、先生の説得にも関わらず「学校へ行きたくない」と登校を拒否しました。
息子の心はもう、限界 だったのです。
私は、学校と子どもの心との板挟みで、どうしたらいいか、まだ迷いがありました。
その頃、息子がぼそっと言いました。
「なんだか、ベランダから飛び降りたい気持ち」
「自分が、誰かを傷つけてしまいそうで、怖い」
私は「これは心が病んでいる証拠だ」と、危機感を覚えました。
「学校へ行って死ぬくらいなら、学校へ行かなくてもいい!」
そう、私は思いきった 決断 をしました。
学校へは「当分、休ませます」と連絡を入れました。
それから、
「仕事へ行っている間に、息子に何かあってはいけない」
と思い、室内でウサギを飼い始めました。
動物の世話をすることで、息子の気持ちが少しでも和らげば、と思ったのです。
「仕事に行っている間、ウサギが、息子を守ってくれるのでは…」
などと、いま思えば、藁にもすがる気持ちでした。
学校へ行って校長先生と話をしたけれど、
「まあ~担任も頑張ってるから!」と話にならず。。
担任から、あれほどあった電話が、パッタリ止みました。
そんな毎日を過ごしているうち、終業式に近づいてきました。
息子は担任に恐怖感を感じて、相変わらず自宅で療養、学校へ行けません。
終業式のあった日、学校から「手続きがあるから」とのことで学校を訪ねました。
校長室へ通され、待っていると息子の担任がはいってきました。
担任は「学年末の会計のことですけれど・・」と、事務的な話をしました。
学習費を精算した後の残金を受け取り、手続きが終わりました。
担任は私を前に、ニコニコしています。
なぜ、息子を傷つけておいて、笑顔でいられるのか?
どうして、息子が休んでいるのに、気遣いの電話一本くれないのか?
私の中に、もやもやとした感情が浮かび上がってきました。
そして、担任に言いました。
「なにか、息子に言うことはありませんか?」
私は、担任がなにか言ってくれるのではないかと期待しました。
しかし・・・それは空振りに終わりました。
担任は黙ったまま、うっすら笑顔を浮かべています。
私はやっと、確信しました。
「息子は一年間、担任からイジメを受けていたのだ」
先生が生徒をいじめるという発想は、私にはなかったのです。
それが現実に、目の前にある。
「学校は安全である」という 神話 が崩れた瞬間でした・・・!
* * *
学年が変わり、6年生になりました。
担任も、定年退職の校長も、もう学校にいません。
しかし、息子は「学校=担任」のイメージが拭えないままでした。
そして、不登校になったあと、「対人恐怖」という二次障害が起きてしまいました。
ひと月ほどして、ようやく学校へ通い始めました。
新しい、6年生の担任は良い方で、息子はすこし元気になりました。
しかし、いったん切れた緊張の糸は、長くは続かず・・。
息子のエネルギーは、2学期の途中で切れてしまいました。
小学校は、それきりでした。
* * *
その後、息子は中学生になりました。
がんばって入学式にも出ました。
クラスに入り、新しい生活を無事にスタートさせました。
・・・と、思っていましたが、やはり難しかったようです。
息子は、しばらく家にこもり、自分の心の修復を始めました。
そして、1年も経ったころ、ぼそっと言いました。
「5年生のとき、僕は酷い目に遭った」
それまで、思い出すのも辛くって。
ようやく言葉にすることができた瞬間でした。
長い時間、かかったね。
傷ついた心は、目には見えない。
それに、傷が癒えるには時間がかかる。
それが、どれだけの時間を要するのか、周囲にも本人にもわからない。
でも、いつか息子が傷を克服して、昔のように人懐っこい笑顔を見せてくれるだろう。
そう信じて、息子の優しさと強さを信じて、これからも息子に寄り添い続けます。
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